六甲アイランドで暮らしていると、
ときどき自分の生活スケールと噛み合わない空間に出会う。
建物は立派で、天井は異様に高く、
広場はイベント会場として設計されたままの寸法を保っている。
けれど、そこを行き交う人の数や歩く速度は、
あくまで日常のそれだ。
この街には、
想定された未来のサイズをそのまま残した建物が、
今も生活のすぐ隣にある。
かつての役割を引き継ぐファッションマート
神戸ファッションマートは、
今も年に数回、大規模な販売会やイベントが開かれる。
その日だけは、
巨大なアトリウムに人が集まり、
かつて想定されていた使われ方が、
一時的に再現される。

けれど、それは「復活」というより、
過去の使い方をなぞっている時間に近い。
普段のファッションマートは静かだ。
日常の動線から外れており、テナントも家具販売が多いことから、
「わざわざ行く場所」になっている。

寂れている、と言ってしまうのは簡単だが、
実際には完全に空いているわけでもない。
ただ、日常には組み込まれていない。
この建物は今も、
非日常の器として余白を残したまま存在している。

日常に回収されたサン広場
一方で、同じリバーモール内にあるサン広場は、
まったく違う時間の流れを持っている。
ふわふわドームが設置され、
「こべっここどもひろば」や幼稚園が入り、
小さなマルシェが定期的に開かれる。

何か特別なイベントがなくても、
人が通り、立ち止まり、滞在する。
ROKKO i PARKができ、
ヤマダストアーが入り、
サン広場は生活動線そのものになった。
天井は相変わらず高い。
空間のスケールも、正直に言って大きすぎる。
それでも、この場所は
そのアンバランスさを抱えたまま、日常に回収された。

静かな時間も、子どものはしゃぐ声も、同じように受け止める空間は、どこか教会の内部に似ている。
想定された未来と、今の暮らしのズレ
ファッションマートとサン広場の違いは、
成功と失敗の対比ではない。
どちらも、
かつては同じように
「大規模な集客」を想定してつくられた。
違いが生まれたのは、
その後、生活の側に引き寄せられたかどうかだ。
サン広場は、
用途を細かく分解され、
人の生活リズムに合わせて解釈し直された。
ファッションマートは、
大きな器のまま、
非日常を受け止める場所として残った。
どちらも、
六甲アイランドの時間を正直に映している。
大きすぎる建物が残るということ
六甲アイランドは、
想定された未来をすべて実現できた街ではない。
けれど、
その痕跡を消さず、
別の使い方で生かし続けている街でもある。
大きすぎる建物は、
必ずしも生活に馴染むわけではない。
それでも、
切り捨てられず、放置されきらず、
形を変えながら残っている。
この街の日常は、
ちょうどいいサイズだけでできていない。
その少し過剰な空間が、
今も静かに生活の背景として存在している。



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